ちなみに、「おしじょう」と読みます。
こちらのポスターは三成の冷徹な笑み、のぼう様の豪胆な笑み、別々の「不敵な笑み」を上手く表してて好き。小説版の表紙になぞらえてる感じかな。
忍城へ向かって出陣
池袋から湘南新宿ライン(高崎線直通、籠原行き)に乗り熊谷で秩父線に乗り換え行田市駅へ。
トータル1時間半程度の旅程。
高崎線の途中に行田駅があるけど、そこからだとバスで20分程かかるらしいので、徒歩で10分程度の行田市駅を選択。
8時半の電車に乗ったけど、平日朝の下りだとガラガラなのでグリーン車にするまでもなく快適に座って行けます。
熊谷でJRの改札を出て秩父鉄道の改札へ。
なんと「SUICA、PASMOは使えません」との貼り紙が。
いや~、何年ぶりかで切符を買った!
なんか旅情気分でいいな。
ホームに降りてみると、ちょうど電車が到着したとこみたい。
始発駅みたいで一斉に乗客が降りてきて電車はもぬけの殻。
すぐに折り返すだろうと思って乗ったものの、3両編成すべての車両を見渡しても他に乗ってる人が居ない。
ホームには空きスペースが無いほどベンチが置いてあり、皆さんそこに座ったまま。
「?」
と思ったら、車掌さんが乗ってようやく車内アナウンス。
「10:26発の…」
と発車時刻を聞いて時計を見ると9:53。
「!?」
まだ30分もあると!?
だから誰も乗り込まずにホームのベンチに座ってるのか…?
おかしい、乗り換え案内で丁度いいのを調べたはずなのに。
慌てて時刻表を調べてみると、一時間に一本だけ!
そして私が調べたのは土曜のダイヤだった模様…。
今日は金曜…、なんという事だ!
これなら行田駅で降りてバスにすればよかった。
湘南新宿ラインが思ってる時刻に来たから全然気がつかなかったよ…。
いや~、小学生の頃に机上旅行クラブで時刻表をペラペラめくりながら旅行プランを立ててた計画のプロである私がこんなミスをするとは(笑)
あの頃も乗り換えが1分という実現性の無いプランを立ててはいたけど(笑)
まぁ、こんなトラブルも旅の思い出として笑い話しになるかな。
行田の街を歩く
まずは行田市駅の前の案内板で位置関係を確認。
「埼玉県名発祥の地」とあるのは、「前玉(さきたま)神社」というのがこの辺り一帯の地名として「前玉郡」となり、その後「埼玉」と漢字が変化したという事です。
また、古代においては(さきたま)は「幸魂神社」と書いたとの事。
魂が幸せになる神社。
埼玉という名は(こう言っては申し訳ないけど)ダサいイメージで語られる事が多いけど、非常に素敵な由来だという事が分かりますね。
駅前からは大通りで辿り着けるので迷うことはありません。
マンホールの蓋もお城デザイン。
忍城に到着
ひとまず外から眺めてみます。
う~む、どんより曇り空…。
まずは明らかに正面入り口ではなさそうな、裏門らしき場所から入ってみます。
こういう橋を渡って門をくぐると、江戸時代に登城する藩士のような気分でいいですね。
トイレ案内がお洒落。
壁に近づけたので、狭間(鉄砲を撃つための穴)から足軽が見る景色も見てみる。
ここから長筒を出して射撃するだけなら反撃される心配も無いので安心感がハンパない(笑)
構内図で全容を確認。
黄色くて邪魔くさいのは私の服です(笑)
映り込むのは分かってたんだけど、地図は真正面から撮らざるをえず仕方なく…。
これによると先ほど通ったのが東門。
あずまやを抜けて博物館の入り口脇という事か。
とはいえ、周囲を回ってからにしたいので、中に入らず素通りして進みます。
当時の遺構とご対面
櫓自体は再建された近代の物ですが、当時実際に使われていた物も目にすることができます。
壁際の気づきにくい場所になにやら曰くありげな石が。
石垣で実際に使用されていた物だとの事。
すべての石の後ろが三角形で細くなってるは、建築技法として何かあるのでしょうか。
そのまま歩を進めると、急に立て札が。
横から見ましょう。
なるほど、重たい甲冑を着込んだ武士が上からの妨害をかいくぐりながら登るのも大変そうです。
草が生い茂ってたらそれだけで行動が阻害されるし。
単なる斜面でしかありませんが、生で見ると城を攻める困難さが実感できますね。
土塁を抜けた先の駐車場に、現代の地図と重ね合わせた説明板が。
こんな来る人も限られた場所にこんな重要データがあるってどういう事だ(笑)
土塁から戻る際に気づく、立派な門。
といきたい所ですが、長くなってきたので一息つきましょう。
見所いっぱいのため、次回も長くなりそうです(笑)
コメント
コメントを投稿