春の陽気がやってくる直前の肌寒い3月のとある休日。
銭洗い弁天も。
周囲がビル陰で薄暗い中、ここだけ陽が当たっていて神々しい茶ノ木神社。
ご由緒。
本殿を正面から撮ろうとしたら警備員の方に参道の脇からにしてくれと注意されました。
皆様もお気を付けください。
安産祈願、子宝祈願の像も。独身の私には無縁なものと少々黄昏れてしまいます(笑)
こちらもビルの合間にヒッソリと佇んでいます。
しかも、早朝8時に集合したので寒さがより厳しい(笑)
早朝から日本橋七福神巡りへ出発!
公式HP にこう書かれています。
『巡拝距離が短く』というのは気軽に行いやすいという事で良いですが、それよりも気になるのは『すべて神社で構成されている』というところ。
当ブログでも過去に2回、七福神巡りの記事をアップしています。
このどちらも、神社と寺院が混在しており、「ここは神社かな?お寺かな?」を意識していました。
実はブログのラベル貼るのに「神社」だけなのどうしようかなぁ、と悩んだりもしました。
昔と違って今は神社の参拝時に「二拝・二拍手・一拝」というのは浸透していると思います。
ただ、お寺ではどうするのが良いのでしょうか?
とんでもなく雑な分類をすると、神社は神道の施設、寺院は仏教の施設。
仏教の方が宗派が沢山あり作法もそれぞれで有りそうなイメージ(根拠なし)
寺院では拍手を打たないのが作法と聞いた事があるので、シンプルに手を合わせるだけにしています。
心の中で唱えるお願い事は同じですが(笑)
さて、『巡拝距離が短い』という公式地図がコチラ。
この縮尺に収まっているのでいかに狭い範囲に集まっているのか分かりますね。
どこからスタートしても、一周ぐるりと円環状で回れます。
我々は地下鉄人形町駅のA6出口から出て小網神社をスタートにしました。
これは、テレビの情報番組でパワースポットとして取り上げられ日中かなり混雑しているようなので、混む前に行こうという意図です。
小網神社から反時計回りに椙森神社まで七ヶ所歩いて約2kmほど。
スタート地点に戻って一周しても3kmもいきません。
休日のちょっとしたウォーキングにも丁度良いですね。
なお、今回は七福神巡り固有の色紙とか御朱印などは集めておりません。
福禄寿(小網神社)
朝8時半頃で人は少なめではありますが、それでも途切れずに訪れています。
社殿と神楽殿は明治神宮造営の工匠長、内藤駒三郎と一門の手によるものだそうです。
拝殿に向かって右側の「昇り龍」は、参拝者の願いを神様に伝える存在。
左側の「降り龍」は、神徳を参拝者に授けてくれる存在。
次に移動しようとした際に警備の方がお声がけいただき教えてくださったので、急ぎ戻って確認しました。
横には養老の滝の見事な彫り物が。
元号が「養老」となったエピソードとの事。
福禄寿の像にお詣り。
銭洗い弁天も。
10円玉を洗って財布の中に入れました。
これが種銭となって財を呼んでくれると…。
1万円を洗ってる方もいらっしゃいましたが、金額によって差が出ないと信じたい(笑)
布袋尊(茶ノ木神社)
ご由緒によると、下総(現在の千葉)佐倉の城主堀田家の江戸屋敷であったとの事。
当ブログは神社巡りの他にお城巡りもしており、なんと!佐倉城も訪れています。
その記事は コチラ
その時に撮影した幕末の時のご城主の写真。まさかこのような所でご縁があるとは…。
周囲に植えられたお茶の木が名前の由来のようですが、その面影は残念ながらありません。
社務所は向かって左側のビルの一階です。時間帯のせいかこの時は無人。
ご由緒。
本殿を正面から撮ろうとしたら警備員の方に参道の脇からにしてくれと注意されました。
皆様もお気を付けください。
壇ノ浦の戦いで有名な安徳天皇、建礼門院、二位の尼が祀られているのは意外でした。
平家残党が源氏の本拠地である関東に落ち延びる?と一瞬ハテナでしたが、ちょっと調べてみると
『文政元年(1818)港区赤羽に在った有馬藩邸に当時の藩主有馬頼徳公が領地(福岡県久留米市)の水天宮の御分霊を神主に命じて藩邸内に御分社を祀らせた』
という事のようです。
なるほど。
階段の途中に、お名前を現す物がありませんでしたが平家武者の像でしょうか。
安産祈願、子宝祈願の像も。独身の私には無縁なものと少々黄昏れてしまいます(笑)
大国神 (松島神社)
こちらもビルの1階という都心ならではの神社。
写真はこの1枚だけしか撮ってませんでした…。
創建は鎌倉時代の1321年以前。
まだこの辺りが海だった頃、松が生い茂る小さな島があり、島にあった祠に明かりがともされ、近くを航行する船が目印にしていたのが起源との事。
そこから松島神社となったのですね。
このような近代的なビルの中ですが、14柱もの神格の高い神様をお祀りしているそうです。
毘沙門天 (末廣神社)
下町風情ですね。
雑然と置かれているように見えて、案外とシンメトリー。
江戸時代の富くじも調べてみると色々と面白いです。
江戸時代、明暦の大火のあった明暦3年(1657)以前は日本橋人形町がかの有名な遊郭・吉原であり、末廣神社は吉原の鎮守であったとの事。
大河ドラマ「べらぼう」は年代的に大火の後、吉原が浅草に移転した後なので、残念ながらこちらとは関係は無いのですね。
ご神木であろう椎の木の手前に、扇形のお盆が乗せられた石があります。
様々な徳を授け高める力があるといわれるそうです。
ご参拝をした後、石の上に財(お金)を置き、願いを込めます。
置いたお金を持っていると徳運が貯まり、また、使っても徳運が広がるといわれています。
他の方がお祈りされていて時間的に私はできませんでした…。
またお願いしに行かないとな。
足元にも可愛らしい社が。
上を見るだけの人は見落としてしまいますね。
火消し「は組」の石碑。説明によると現存しているのは珍しいんだとか。
雑然と置かれているように見えて、案外とシンメトリー。
恵比寿神 (椙森神社)
すぎのもりじんじゃ
読めませんでした…。
外観が白塗りなのはコンクリート造りらしい。意匠は宮作りでも洋風な印象です。
こちらで富くじが興行されていたという事。
江戸時代の富くじも調べてみると色々と面白いです。
まず、江戸時代初期には牛込の宝泉寺、谷中の感応寺だけが許されていました。
私もお詣りしました。⇒宝泉寺にお詣り
宝くじの当選祈願として(笑)
富くじの記念碑がありました。
スマホの待ち受け画像にしました(笑)
■末廣神社
■椙森神社
文政期には規制緩和され興行として行われるようになります。
興行主が人が集まり交通の便が良いところとしてよく場を借りたのが椙森神社という事のようです。
富くじの記念碑がありました。
狛犬コレクション
狛犬愛好家のわたくし。
凜々しいものから可愛いものまで、表情や仕草も色々で神社巡りの楽しみの一つ。
今回巡った狛犬たちを一挙にご紹介。
■小網神社
丸顔で愛嬌あります。花柄の華やかな前掛けも可愛らしいですね。
■茶ノ木神社
お稲荷さんだから狐様ですね。威嚇されてる?
■水天宮
子供がじゃれついています。これは珍しい!
こちらはちょっと厳つい感じですね。
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