このブログではいくつか神社巡りの記事を書いております。
そして、来月に 24時間100kmウォーク の大会に参加するので週末に練習として長距離を歩くようにしているのですが、目的もなくただ歩くだけでは面白くないので、趣味の一つである神社巡りと一緒にやろう!と思い立った訳です。
そして、歩いて来たルートがコチラ!
右端の三角マークから左端の四角マークまで。
何かに見えませんか?
ポイントに赤い丸を付けました。
これで何となく分かりやすくなりましたね。
そう、北斗七星です!
道なりに歩いているので線がユラユラしてはいますが…。
今回は北斗七星の形に配された平将門ゆかりの七神社を巡ってきました。
平将門公と言えば『日本三大怨霊』の一角。
当時の都である京都周辺では天皇に反逆した朝敵でもあり怨霊と恐れられもしますが、関東では傍若無人に振る舞う京から来た貴族から関東を守ろうとした英雄でもあります。
その縁の神社が江戸を守る結界として北斗七星の形で配置されていると聞けば、都市伝説好きな私としては胸が高鳴ります。
今回、この話しを知ったのはこの本。
人生を切り拓く為の努力はすべて神頼みに費やす私はこのような書籍を愛読しています(笑)
その中にこの記事がありました。
・神社巡り
・長距離ウォーキングのトレーニング
・都市伝説
私の好きな物が詰まっており、巡らない選択肢はありません(笑)
それでは、北斗七星の柄杓の先端に位置する鳥越神社からスタートです。
名前はドゥーペと言うらしい。中国名は天枢、仏教では貪狼と言うそうです。アジア人としてはこういう名前が格好よく感じますね。
今回巡ってみて分かったのですが、神田明神と鎧神社以外は正式な御由緒に平将門の話題も名前も一切ありませんでした。
ですので、都市伝説方面からの神社の由来などを紹介していきます。
この鳥越神社の名前は、京都を飛び立った平将門公の首がこの地を【飛び越えた】事に由来するそうです。
「飛び→鳥」という連想からか「とびこえ→とりごえ」という訛りのような変遷なのかどちらかでしょうか。
また、将門公の体はバラバラに埋葬されたとの事で、この鳥越神社には『腕』が祀られているとかいないとか…。
なぜバラバラに埋葬されたのかというと、京都で晒されていた首が「胴体はどこだ?胴体と首をつないでもう一戦!」と叫んでいた事への恐怖から、再生できないよう一緒に埋葬しなかった、という説が有力なようです。恐ろしいですね。
繰り返しますが、神社の公式な御由緒ではありません(笑)
おまけ。
昔の尺度が書かれていました。粋です。
私の身長は五尺六寸といった所でした。
時代劇好きとしてはこういう単位が知れるのも嬉しいところ。
続いては兜神社です。鳥越神社から南下すること道なりで3kmほど。
小さいです。狭いです。ちょっとビックリしました。
公式の御由緒には「明治11年ここ兜町に東京株式取引所(東京証券取引所の前身)が設けられるに当り、同年5月取引所関係者一同の信仰の象徴および鎮守として兜神社を造営した。」
とあります。
明治に入ってからとなると歴史が浅く、どこに将門公との縁があるのでしょうか?
どうやら江戸時代にはすでにこの付近に有った平将門が祀られていた鎧稲荷が合祀されたんだとか。
とはいえ、現在は正式なご縁は無いとされていました。
また、将門公を討ちとった藤原秀郷が将門の兜を地中に埋めて塚を作り供養した、という説がありました。それが境内にある「兜岩」であるとも。
この説は有力ですね。
実はその兜岩の写真を撮れなかったのです。
兜町謎解きツアーの袋を下げた方が引っ切りなしに訪れていて写真撮影などもされていた為、急いで出てしまいました。ちょっと待てば良かったな~。
門扉の兜マークはどこか可愛らしい。
兜神社から西へ約2km。3箇所目にして本命中の本命です。
あれ?
ここでしょうか?
以前テレビで見た鬱蒼と茂った緑に覆われた暗さと怨念を感じられるような場所だと思って楽しみにしていたのですが、やけに開放的で現代的で小綺麗な場所です。
将門塚で合っているようです。
行くまで知らなかったのですが、つい最近リニューアル工事がされたようでした。
あまりのオープンさ、アッサリした様子にちょっとガッカリしたのですが、前に立つと圧倒的な存在感とオーラで周囲に何も無くとも「この塚さえ有れば他は不要」という事がよく分かります。空気すらも違う気がします。
ここは余計な事を言える雰囲気では無いですね。
神田明神
こちらはお正月にも初詣でよく来ますが、平将門に縁があるとは知りませんでした。
きちんと 公式の説明 にも将門公が御祭神として載っています。
元々は将門塚のすぐ近くに創建された事もあり、現在も首塚の祭事を取り仕切っているようですね。
江戸時代には幕府の庇護の元で盛大に祀られていたものの、明治時代になると将門公は「天皇に逆らった朝敵」とも言えるので御祭神から外すよう強要されたとの事。
明治天皇が参詣するにあたって反逆者が祀られていたらマズイですからね。
公式の説明では一時神田明神から離れていた事実のみで理由は書いてありませんが、昭和59年に再び奉祀されたとあります。長い時間かかったものですね。
そして、神田明神には将門公の胴体が埋葬されているという話しです。
「神田(かんだ)」という地名も、「身体(からだ)」が転じたのか訛ったのか、あるいは直接的な表現を避けた呼び名になったのか…、という説もありました。
神田明神からお茶の水を越え後楽園を越えた約2.5km先にある筑土八幡神社。
江戸時代には「筑土八幡神社」と並び「築土神社(津久戸明神)」が建っており、実は筑土神社の方が将門公と縁が深い神社との事です。
現在は築土神社が九段北に移転したので、この地で北斗七星の結界を守っているという事ですね。
本来は築土神社が将門公を祀っていたらしいので移転後は関係が無くなったとも言えますが、元々すぐ側に建っていた以上は何かあると勘ぐるのが都市伝説好きの性というもの(笑)
こちらには将門公の左足が埋葬されている(筑土神社には右足)という話しもありますが、戦災で資料もすべて焼け落ちてしまったのが悔やまれるところですね。
人命はもちろんのこと、歴史を途絶えさせるというだけでも戦争の罪の重さは計り知れません。
階段の途中のデッドスペース?に遊び場が!
この滑り台は男子小学生にはたまらなく熱いでしょう!!
筑土八幡神社からさらに西へ向かうこと約2.8km、趣ある神楽坂を通りながら辿り着いた早稲田の地。
水稲荷神社です。
天慶四年(941)、すなわち将門公が討たれた翌年に敵将である藤原秀郷が稲荷大神を勧請したのが由来との事。
将門公を討伐した張本人に縁の神社がなぜ将門公の霊力を源とする結界の一部に使われているのか?
検索しまくった結果としては、「怨霊の怒りにより力を出させるため」という物や「最も重要な部位である心臓が埋葬されているから」という物、「頭と胴体(鎧神社に埋葬という説)をこの神社で分断するため」という物まで諸説あり。
この近隣の地名「戸塚」の基になったとされる「富塚古墳」が境内にある事から「富塚稲荷」との名前だったのが、1702年に霊水が湧きだし眼病や水商売、消防の神とされた事から現在の名前に変わったとのこと。
この霊水も将門公の心臓の鼓動により湧き出したとも言われているとかいないとか…。
早稲田(高田馬場)という事で忠臣蔵の堀部安兵衛の碑もありました。
本殿裏手の古墳がある方は木が生い茂り昼間でも街灯が灯っているほど薄暗いです。
水稲荷神社から西へ山手線の線路を越えて大久保の辺り、閑静な住宅街の中に静かに佇む鎧神社です。
兜で始まり身体を巡って鎧で終わる、というのも不思議な感じですね。
神社の御由緒によると、日本武尊の鎧と、平将門の鎧が納められているとされています。鎧というと胴体になりますね。
地元の人々が将門の威徳を慕って鎧を納めたという説、藤原秀郷が病に倒れたのは将門の霊によるものと思い霊を鎮めるために将門の鎧を奉納したという説、将門公の弟がこの地で鎧を脱いで休息時に秀郷の子に襲われ討ち死にした後に疫病が流行ったため、霊を鎮めるために一門の頭領である将門公を祀った、という説もありました。
いずれも将門公の鎧が鎮魂の鍵となっているようで、この地に鎧が埋められたのは間違いないと思えますね。
これで各神社に埋葬された将門公の身体が繋がった事になります。
鳥越神社:両腕
兜神社:兜
将門塚:首
神田明神:胴体
筑土八幡神社:右足
(筑土神社:左足)
水稲荷神社:心臓
鎧神社:鎧(胴体)
とりあえず本で見た通りに神社だけを巡ってきましたが、記録として残すためにこのブログを書きながら詳細を調べてみると、知っておいた方が良かった知識や見るべき場所がもっと有った事を知りました。
都市伝説好きと言ってもド素人丸出しですね。
「行きたい」という気持ちが先走ってロクに下調べもせずに行ってしまった我が身の迂闊さよ…。
それでも自分の脚で七箇所を巡った事で巡礼の旅のような特別な満足感を得られたのは良かったです。
距離にして約16km(通る道によっては前後します)
所要時間は鳥越神社に着いたのが11時半、鎧神社を出たのが15時半。4時間ほどでした。
昼食は摂らなかったのでこの時間ですが、休憩などを取りながらならゆっくり歩けば一日を使った丁度良いウォーキングが出来ると思います。
よろしければぜひお試し下さい。
最後に。
北斗七星は北極星を導く物でもありますね。
この柄杓から北極星の位置に目をやると、日光東照宮に辿り着くそうです。
江戸の守護者である徳川家康を北極星(天帝)とする配置になっているとの事。
鳥肌が立ちますね。
日光東照宮は小学生の社会科見学で行ったきりなので、また改めて訪れてみたいと思います。
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